サンクスストーリー
大阪祭典のスタッフが体験した
心に残ったエピソードを
ご紹介いたします。
エピソード3
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堺ファミリーホールに配属されてすぐ、式の担当をさせていただいたときのことです。故人のお孫様の1人が関東在住の男性でした。とても悲しみ深く、祭壇前にご安置した後も拝顔されては大泣きされ、少し落ち着いて再びお顔を見ると悲しみが深く湧いてきて…といったご様子でした。他のご親族に伺ったところ、社会人になった後も盆や正月などの節目には毎年関東から故人に来られていたということで、私はこの男性にほんの少し特別な時間をもっていただきたいと思いました。
通夜が終わったあとのご拝顔で手向けていただくコットンフラワー。花の数は決まっており、当時の参列人数では全員にお配りすることはできませんでした。男性は花を他の人にお譲りするだろうと思った私は、良くないことだと思いながらも花を一つだけ隠し持つことにしました。
通夜式後、式場に誰もいなくなったタイミングでお孫様をお呼びしました。故人のお顔のところだけ柩の蓋を開け、隠し持っていたコットンフラワーをお渡しし、お顔の横に手向けていただきました。少しの時間でしたが故人との二人だけの時間を過ごしていただき、失礼しようとご挨拶させていただいたところ、涙を流しながら頭を下げてくださりました。意味深いひとときをお過ごしいただけたのであれば本当に良かったです。
令和3年10月
千里丘ファミリーホール T.S.
エピソード2
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ミスがないように、滞りなく終わるようにと考えながらお葬儀を担当していた私の仕事に対する姿勢が変わるきっかけとなった喪主様がいらっしゃいました。その方は、二人姉妹のご長女でお母様と一緒にお住まいだったそうです。そのお母様のお葬儀を担当させていただきました。
世間話をしながら、お母様のお人柄を聞きながらのお打合せでした。私にしてみれば、普段のご遺族とのお打合せとなんら変わりない事でした。お通夜、お葬儀と滞りなく終わり、お見送りをして、ご遺族は帰られました。
それから数日後、会館にその時の喪主様が来館されました。役所の手続きに行く途中だとのこと。「その節はお世話になり本当にありがとうございました。」というお言葉を頂きました。そしてそのあとに、「この会館の前を通ると、あなたのことを思い出すんですよ。」「お顔を見たいなぁって思うんですよ。」と言ってくださったのです。お打合せからお帰りになるまでの間、お顔を見かけたら式の事は勿論、何気ない言葉を交わしていた事が、喪主様の気持ちを和らげたとの事でした。
ミスなく、滞りなく済めばそれでいいのかもしれませんが、この喪主様からの一言二言が、故人様を送るご遺族と接する姿勢を見直し、変えていくきっかけとなりました。「故人様を送るお手伝いをさせてください。」そういう気持ちでご遺族に寄り添い、これからもお葬儀をお手伝いしていこうと思っています。
住之江ファミリーホール A.S.
エピソード1
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その日は喪主家9名のみの1日葬で、当日までどなたも式場にいらっしゃらない状態でした。少し寂しさを感じながらも遺影写真を見ると、ピアノ演奏をしている時の故人様が写っていました。遺影写真に選ぶくらいなので、よほどピアノに思入れがあるのだろうな、と思った私は喪主である、奥様にそれとなく話を聞いてみることにしました。写真の事に触れながら、「ピアノお好きだったのですか?」と訊ねると、奥様は嬉しそうにご主人の事を話してくれました。
「音楽が好きで、特にジャズがお気に入りで、仕事でピアノを弾く事もあって…」と。
故人様の人となりを聞いた私は、その日の司会で短いナレーションを作りました。
一日葬で、私達スタッフと直接関わるのも数時間でした。その中で少しでも今日の式のことが心に残ってくれたら、と思い「梅雨の季節」に絡め奥様が話してくれた思い出が写真から思い浮かんでくるような言葉を選びました。時間にすれば1、2分の拙い文章ではありましたが、心を込めてアナウンスしました。
その後支配人伝てに「喪主様がナレーションを喜んでいた」と聞き、私の心も温かくなりました。少しの言葉でも、その家族に寄り添える一言というのは、こんなにも人の心を動かすのだな、と感じた出来事でした。令和3年6月7日
千里丘ファミリーホール M.K.